エンゲージリングにはパブェと呼ばれる物があります

エンゲージリングのパブェというのは、エタニティーリングとも呼ばれていて、永遠の愛を誓うものなんです。これを送った男は、もう逃げられないんですよ。パブェというのは、フランス語です。石畳という意味で、デザインを表してるんですねえ。メレダイヤの色やブリリアンスが優れてれば、見事に輝くエンゲージリングなんですよ。
 県生活衛生課は5日、放射性セシウムに汚染された稲わらを食べた可能性のある岩手県産牛2頭分の肉が県内で流通していたと発表した。大館市と能代市、小坂町の精肉店計4店舗で販売。1頭分64キロは全量販売済みで、もう1頭分は同課が追跡調査している。大館市の卸売業者から同日県に連絡があり分かった。
 また、県産牛で放射性セシウムに汚染された宮城県産の稲わらを与えられた疑いのある10頭のうち、1頭の肉417キロが川崎市で見つかった。放射性セシウムは国の基準(1キロ当たり500ベクレル)を下回る同145・4ベクレルだった。【坂本太郎】

8月6日朝刊

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 湯沢市の中心4商店街で5日、涼しげな美人画で知られる伝統行事の七夕絵どうろうまつりが始まった。夕暮れとともに大小約300の絵どうろうに明かりが入り、涼風が吹き抜けた。7日夜まで。
 ほのかな光の絵どうろうまつりは、約300年前に公家の鷹司家から佐竹南家に嫁いだ姫君が遠い京の都をしのんで五色の短冊を窓辺に飾り付け。哀れんだ家臣や領民が七夕の夜、華やかな吹き流しなどで城下を彩ったのが起源とされる。
 浮世絵を思わせる絵どうろうは、市民らが毎年制作。蛍光灯が使われ始め、次第に大型化したという。【佐藤正伸】

8月6日朝刊

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 ◇「地獄だ」今も心に重く
 「話になるものでない。まるで地獄だ……」
 広島で見た原爆の惨禍を語ろうとしていた黒木俊一さん(82)=由利本荘市矢島町=の口が急に重くなった。うつむきながら「人間の死にざまを見るのは……」。それ以上は言葉が続かなかった。
 黒木さんは当時、広島県豊田郡(現竹原市)の船舶工兵の部隊にいた。原爆投下翌日、部隊は救護活動のため広島市内へ。そこで16歳だった黒木さんが目にしたものは、66年たっても口に出せないような地獄絵図だった。
  ■    ■
 黒木さんは旧制中学4年だった1945年2月1日、少年志願兵になった。「当時は志願して入隊するのは当たり前だった。早く行って、帰ってこようと思っていた」と話す。
 万歳三唱で見送られて駅を汽車で出発。陸軍船舶特別幹部候補生として入隊した。香川・小豆島で教育隊、和歌山県で船舶工兵の訓練を経て6月25日、広島県豊田郡の船舶工兵の部隊に配属された。
 海上で上陸作戦の訓練に励む日々。駐屯地は高等女学校にあり、午後8時には、いつも点呼があった。夜は土の上に毛布を一枚敷いて寝た。風呂も入れなかった。「疲れたなんて休む理由にならなかった」という。
 原爆が投下された8月6日の朝は海上にいたため、無線で広島が特殊攻撃を受けたと聞いただけだった。その晩、「明日から救護活動に出動すべし」と簡単な命令があった。
 翌日、呉線で市内に向かったが、列車は何度も止まった。広島の手前の駅で降り、歩いて爆心地から約1・5キロの同市稲荷町に入った。
 傷病者の看護をするよう言われたが、薬も治療器具も何もない。被爆者らは水を求めながら亡くなった。穴を掘ってがれきを焼いたり、1体ずつ火葬したりした。石段に毛布を敷いて祭壇の代わりにして慰霊祭をしたこともあった。
 「人間はおっかねぇものだ。3日ぐらいたってマヒした感じだった」。自分自身も髪の毛が抜けたり、腹痛に襲われたりした。周囲には同じような人が何人もいたという。
 広島市に投下されたのが原爆だと知ったのは、終戦を迎えた8月15日だった。
  ■    ■
 戦後、黒木さんは秋田に戻り米農家を継いだ。農薬がなく育てるのは大変だったが、食糧難で作れば作っただけ売れた。農地解放で作付面積が増え、収量が80キロ増えて500キロ近くになった年もあった。米作りは70年ごろから厳しい時代となったが、黒木さんは「秋田は米しかない」と米作りに精を出した。
 原爆のことは家族にもあまり話さなかった。直接被爆しなかったため被爆者健康手帳の対象になると思わず、交付を受けたのは85年だった。97年に脳梗塞(こうそく)で入院した。
 福島第1原発の事故で黒木さんは「原発も原爆も同じ。人間が住めなくなる」と感じている。「原発はなくした方がいい。戦争もだめだ」と言う。「放射能は痛くもかゆくもない。たちが悪い。人類破滅の“兵器”なんだよ」【小林洋子】=つづく

8月6日朝刊

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